「働くことと学ぶこと」その1

「リアル熟議inみやざき」第2回が7月21日(土)午後、宮崎公立大学交流センターで行われました(後援:宮崎県教育委員会・高等教育コンソーシアム宮崎、宮崎市市民活動補助事業)。

高校生、大学生、教職員、社会人など30名ほどが集まり、テーマ「働くことと学ぶこと」を中心に、活発な議論が展開されました。(ファシリテーター石川世太氏)

第一部ゲストトークは藤墳智一氏(宮崎大学准教授)。これまでの学びの変化について、エレベータ型からサーフィン型に変化しているとして、現在はいかに時代の波をとらえ、その波にどのように対応していくかになっていると言われる。

価値観が変わっていくなかで、目標を持って学ぶやり方と目標を探す学び方があるが、固定的、専門的に学ぶのか、多用な、多分野の学び方をするのか、むしろ後者の可能性も捨てきれないと話をされました。

1回目の話し合いから

「働くこと=辛いこと」ではやっていけない。「楽しむ」とは辛いことがありながらも取り組み、喜びや楽しさを見つけていくこと。そのためにも、今、勉強が大切だと思う。

仕事とは、0→1、1→2でなくてはならない。1→1は単なる「作業」。「働きながら学ぶ」ことについて学校で触れられることはない。

仕事、お客様に喜んでいただくには?もっとよいものにするには?、など良くしていくのが「学び」

良い学びには「なんのために学ぶ」という目標設定が大切。

最近の若者は何故すぐ辞めちゃうの?選択肢がありすぎ?学校時から選択肢をあまり知らなかった。働くなかで必然的に学ぶようになる。

ジェンダー、男性優位がまだ社会にあるのでは?お金を稼ぐことは良いこと?という話になったが、誰かのニーズを満たされていることで稼ぐのだからいいことだ。

2回目の話し合いから

男女は平等なの?女性の立場、学校で誘導されているような。若い人も年配の人も同じく女性を守りたい意識がある。「女性は家庭に入る」という意識が若者にもある。

学ぶことと仕事は密接な関係。分からないことを調べることが学び。働くこと=学ぶことだろう。「経世済民」から経済ということばが出てきたことをもう一度確認する必要。

入試での内容は必ずしも社会で必要とされていない。学ぶことは「社会に必要とされているのは?」を意識することが必要。

グローバリゼーションのなかで飲みにけーしょんは必要か?でも欧米でも非公式の場での話は大切。→コミュ力は生涯鍛える必要。

新入社員は敬語力がない。勉強できても電話が取れない。今の若者は国語力が足りない。

親の経済力と子の学習力の関係は強い。お金がなくて学べないという実態がある。

どんな職業があるのか若者は知らない。だから、離職者が多い。→離職は悪いことではないかも。

学校は、学び方を学ぶ場。

「知りたい」と思うことが、学びたいということにつながる。

「今の若者は」といわれるが、それは逆に、古い人の考えが悪いのではないか。

怖いこと、うるさいことをいう大人がいなくなった?昔は強引でも本音で話してくれた。

先輩方のほうが変わってしまった。

女性に対する考え方(男は外で働き、女は家庭を守る)は若い人も年配の方も同じ。それはどこで教育されたのか?不思議。

知識のグローバル化→学ぶことが促進されると思う。知識の里山をつくること。昔は自分ですべて学びつくることが喜びだった。今は知識が断片化されている。

(テーブルの上のカバさんは、発言したいと思う人が取って手元に置きます。)